小さいころからフォワードとしてプレーしてきた上田綺世選手。
世界のレジェンドと呼ばれる選手に憧れ続け磨いてきたプレースタイルは生粋の点取り屋として成長しました。
法政大学の上田綺世選手のプレーから誰にも負けないものと、今後の課題が見えてきます。
ここでは、上田綺世選手の小学校時代からの成長過程も含めて紹介していきたいと思います。
上田綺世は点取り屋として成長
上田綺世選手は小学生時代からフォワードとしてプレーしており、憧れの選手としてイタリア代表としてヨーロッパで活躍したフィリッポ・インザーギ氏(上の写真)とアルゼンチン代表としてセリエAのローマやフィオレンティーナで活躍し“バティゴール”でも有名なバティストゥータ氏を挙げています。
両選手とも上田綺世選手があこがれるだけあってプレースタイルは似ています。
ゴール前での正確なシュートや抜け出しといった圧巻のパフォーマンスを武器にチームを勝利に導くエースストライカーとして有名な選手たちでした。
上田綺世選手のゴールシーンを見ると、彼らのようにゴール前でのシュートパターンが多彩です。
抜け出してのシュート。
サイドからセンタリングをワンタッチで合わせるシュートやヘディングといったゴール前で仕事をするタイプの選手です。
上田綺世選手はゴール前での仕事は誰にも負けない自信を持ってプレーしているようです。
これからの伸び白としては、代表のエース大迫選手が得意とするような下がって中盤の組み立てに参加したり、ゲームを作るプレーの精度となります。
この部分が成長できれば日本代表のエースとして活躍ができるはずです。
成長が遅かったことが上田綺世のプレースタイルを作っている
上田綺世選手は中学時代に成長が遅く身長が低かったことから、フィジカル面でほかの選手に遅れをとったことで鹿島ユースへの昇格を逃し、鹿島学園高校に進学しました。
中学時代には160cm台の身長でしたが、高校時代には180cm台にまで伸び、課題だったフィジカル面も武器として使えるようになりました。
この急激な成長が上田選手にとって良かったことでした。
上田綺世選手は小さいころからフォワードとしてプレーしています。
身長が低かったときは、体格で上回るディフェンダー相手にフィジカルで負けないように工夫していました。
それはワンプレー前に相手の前に出るプレーや、裏に抜け出すプレーなどスピードとアジリティーを武器にしたプレーが得意でした。
そして、身長が伸びてからはヘディングや体格などフィジカルを活かしたプレーができるようになっています。
最初から身長の大きな選手は足元の技術がついてこない傾向があります。
しかし上田選手はもともと身長が低い時期に足元の技術が高かったので、今では日本屈指の完成度の高いフォワードとして成長しました。
中学時代に大きな挫折を味わった上田綺世選手ですが、鹿島学園に進学した後は体の急成長と歩調を合わせるようにチームの主力となります。
上田選手は、3年生の頃には「茨城に上田綺世あり」と言われるほど、絶対的エースに成長しました。
そして、全国大会出場も果たし遂に高校卒業後はプロ入りか!といわれるまでの逸材になりました。
上田綺世のプレースタイルは鹿島学園時代に次のレベルへ
上田綺世がきめて鹿島学園先制 pic.twitter.com/6TThvrPY45
— 垢かえます! (@syuto_Jordan) 2016年11月13日
コパアメリカ日本代表に選ばれた上田綺世選手の中学校時代は、身長も小さく成長に波があり思い通りにサッカーをすることが出来ませんでした。
中学時代は鹿島アントラーズのアカデミーである「鹿島アントラーズノルテ」所属していましたが、残念ながら鹿島アントラーズユース昇格ができませんでした。中学時代にひとつ大きな挫折を味わったのです。
そして全国高校サッカー選手権8度・インターハイ7度出場など輝かしい成績を誇る高校サッカーの名門、鹿島学園高校に進学を決めました。
鹿島学園高校は、Jリーグの強豪チームである鹿島アントラーズの本拠地の鹿嶋市にありアントラーズと提携を結んでいます。
練習試合では下部組織であるアントラーズユースチームと試合が行われます。
選手たちがサッカーをするのに設備面でも優れています。
人工芝のグラウンドを持っている高校のチームも今ではそれほど珍しくはありませんが、人工芝グラウンドが4面もあります。
上田選手が選んだ鹿島学園はこのようにサッカーに対して本気で取り組める環境が用意されていたのです。
鹿島学園に進学した上田選手は、1年生の頃からチームのエースとして試合に出場していきます。
しかし、まだまだ成長途中の体では1試合を乗り切るスタミナに不安があり、途中交代が多かったといいます。
そこで、スタミナ不足を改善するために、上田選手は全体練習の終了後に毎日シュート練習やランニングを行ったといいます。
その練習の成果もあってか3年生の頃には「茨城に上田綺世あり」と言われるほど、絶対的エースに成長しました。
ユース昇格を逃す一因になった体の成長も高校1年生の時点で170cm台にまで成長。
さらに高校3年の頃には180cm台にまで伸びました。
茨城の鹿島学園ではこれ以上ないような環境でサッカーに打ち込んだ上田選手は、身長の成長だけでなく50mを5秒9で走る快足や空中戦に必要な跳躍力も飛躍的にアップするなど、フォワードとして必要な身体能力も手に入れました。
選手としては1年生の時から活躍し、チームの10番を背負って高校選手権にも出場しています。
そして、卒業後すぐにプロへ進むだろうと思われましたが、ケガや両親の助言もあり法政大学へ進学することになりました。
この選択がさらなる成長を遂げることになるとはこの頃の上田綺世選手も思わなかったでしょう。
上田綺世の決断!プロではなく法政大学へ
鹿島学園高校を卒業した上田絢世選手は法政大学へ進学するとすぐに頭角を現します。
大学1年時には関東大学リーグに出場して12得点を上げて大学ナンバーワンエースと言われるほどの活躍を見せます。
この活躍がもととなり、東京五輪を目指す世代の日本代表へ初招集されています。
それまでは全くと言っていいほどアンダー世代での代表選出経験はありませんでした。
上田綺世は法政大学から鹿島アントラーズへ
法政大学2年時に上田綺世選手は鹿島アントラーズに2021年に入団が内定しました。
大学2年生での内定はJクラブでの大学生最速となります。
また、大学生のJクラブへ19年加入内定を見ると上田選手以外にもすでに内定が出ている選手やすでに特別指定選手として活躍している選手もいます。
少し紹介すると同じ関東1部リーグでは、順天堂大学の名古新太郎選手(鹿島)、旗手怜央(川崎F)※2020年度加入内定。
流通経済大学の小池裕太選手(シントトロイデン)※2018年夏より完全移籍。
早稲田大学の相馬勇紀(名古屋)、小島亨介選手(大分)といった五輪世代日本代表やJリーグでも活躍している選手の姿をみることができます。
上田選手と同じ法政大学サッカー部でもディサロ燦シルヴァーノ選手(北九州)、吉田舜選手(群馬)、黒崎隼人選手(栃木)、長倉颯(岐阜)とJリーグのプロの世界でも一緒に成長が見込まれます。
プロでなくても、力をもった選手が多く揃っている大学サッカーでもまれることで、上田選手は法政大学で戦いつつも、日本トップレベルのプロでもまれることができる環境を手に入れ、己をさらに高めていくというのです。
上田綺世がコパアメリカ前の試合で大暴れ
#法政大学体育会サッカー部
アミノバイタルカップ2019
1回戦vs神奈川大学
1-0勝利#上田綺世 #ゴール pic.twitter.com/AAul3hJr0u— はっとトリック (@takepapa11) 2019年6月8日
上田絢世選手はコパアメリカ日本代表として6月18日のピッチに立つことができるか!
その前に行われている法政大学サッカー部での試合で大暴れをしている。
アミノバイタルカップ2019 第8回関東大学サッカートーナメント大会の1回戦神奈川大学戦と2回戦の早稲田大学戦で2試合とも上田選手の決勝ゴールで勝利を呼びました。
この勢いでコパアメリカが開催されるブラジルに乗り込み大暴れする予感が漂っています。