端午の節句の飾りに込められた意味は?気になる疑問点もチェック!

男の子にとって大切な日でもある「端午の節句」。

この日は女の子でいう「桃の節句」と同じで、男の子の健やかな健康と無病息災を願うためのものです。

そんな端午の節句では、五月人形やこいのぼりといった飾りを飾る風習があります。

そこで今回は、端午の節句の時に飾る飾りについて、意味や由来、気になる疑問点についてチェックしていきたいと思います。

端午の節句飾り「五月人形」とは?

兜や弓や太刀といったカッコいい小物と一緒に並んで飾られるのが、五月人形です。

勇ましい姿についつい夢中になってしまう男の子も多いのではないでしょうか?

では、この五月人形にはどのような意味や由来があって、どのようなしきたりがあるのでしょうか?

五月人形の意味や由来とは?

今でこそ日本でもお祝いする所が多くなってきた「端午の節句」ですが、元々は昔の中国で行われていた「五節句」という季節行事の1つでした。

この節句というのは季節の変わり目の時期であり、古来から邪気が近寄ってきやすいと言われていたため、節句の時期にはそれぞれ飾りやお供え物をして邪気を払い、無病息災を願っていました。

では何故「端午」と呼ばれているのでしょうか?

端午の節句は5月の時期に行われるものですが、昔の中国では旧暦の5月で行われていました。

その時期は今でいう6月頃で、梅雨の時期にあたります。

そしてこの「端午」というのは、旧暦5月にあたる「午の日」に当たるため、端午の節句という名前が付けられています。

五月人形が登場したのは鎌倉~室町時代の頃で、武士が活躍していた時代で、この時代から端午の節句が近付くと武家では鎧や兜を家の中に飾るという風習があり、この風習がそのまま現代にまで引き継がれています。

兜や鎧や弓といった道具は、戦いの時に使われるイメージがありますが、実は兜や鎧といったものは、身を守るために使われるもので、親から子へ「どうか子を守ってください」という願いを込めて飾るようになりました。

五月人形を飾る時期はいつ?

現代でも多くの家庭が飾っている五月人形ですが、いつ頃飾るのが良いのでしょうか?

飾る時期については厳密に「この時期に出さなければならない」という決まりはありません。

ですが、遅くても端午の節句の1~2週間前には出すようにして、一夜飾りにならないようにだけは注意してください。

もちろん、これよりも早く出す分には問題はありませんので、時間ができたら是非飾ってあげてください。

そんな五月人形ですが、例年でいくと店頭に出てくるのは、2月下旬~4月上旬がピークなので、もし購入を検討しているならこの頃が一番ベストなタイミングです。

五月人形は1人1つ?誰かに受け継いでも良いのか?

そんな五月人形ですが、気になるのは1人1つなのか、それとも家庭に1つなのか気になるところです。

昔から人形の役割としては、その人の身代わりになって厄払いをするものですので、基本的には1人1つ持っておくと良いと言われています。

もし家のスペースなどが理由で人数分飾ることができない、経済的に人数分の五月人形を用意するのは難しいというご家庭では、コンパクトサイズの五月人形を置くのもオススメです。

五月人形はできるだけ人数分用意してあげた方が良いですが「安いものでも大丈夫なのか」と不安に思う方もいらっしゃるかもしれません。

ですが、あくまでも五月人形の役割は「子どもが健やかに成長しますように」という願いを込めて飾るものなので、そこに価格の上下は関係ありません。

ご家族の方やお子さんにとって愛着がわくような五月人形を是非用意してあげてください。

端午の節句の飾り「こいのぼり」とは?

端午の節句で屋内に飾るものといえば五月人形ですが、屋外に飾るものといったら、やはりこいのぼりですよね。

毎年、端午の節句が近付くと、多くの家の外にこいのぼりが飾られているのを見たことがあるという方も多いのではないでしょうか?

そこで、次はこいのぼりの飾りの意味や由来についてご紹介いたします。

こいのぼりの意味や由来とは?

こいのぼりが誕生したきっかけは、中国にある神話に登場する龍であるとされています。

その中国の神話というのは、黄河の上流にある龍門へ向かって鯉が滝を登り、やがて龍になるという「登竜門」の話が大きく関係していると言われています。

中国の神話でも描かれているように、元々鯉の生命力は非常に強く、川が綺麗でなくてもたくましく生きることができることから「子どもには鯉のようにたくましく強く生きてほしい」という願いを込めて、こいのぼりを飾るようになったのがきっかけと言われています。

そのしきたりが誕生したのは江戸時代の中頃で、当時は既に滝を登る鯉のおもちゃもあったそうです。

さらに、端午の節句が近付くと、男の子の健やかな成長を願うために外に飾る「のぼり」に鯉を描いていました。

それから「描くのではなく鯉を吹き抜けにして飾ろう」ということになり、こいのぼりが誕生したと言われています。

こいのぼりは最初は今ほど大きいものではなく、小さな旗くらいのサイズだったのですが、風になびいて泳いでいる姿が人々にとって親しみを持つようになり、どんどんサイズが大きくなっていきました。

ちなみに、現代のこいのぼりは綿やポリエステルやナイロンを使って作られていますが、当初は主に和紙を使って作られていたため、雨の日にはわざわざしまったりする手間があり、大変だったようです。

こいのぼりの色と吹流しと矢車の意味

現代のこいのぼりの定番の色といえば、上から「黒・赤・青」ですよね。

ですが、こいのぼりが誕生した江戸時代の頃は、黒一色しかありませんでした。

そして、この黒の真鯉は「子ども」のことを表しており、子どもの健やかな成長と出世を願って飾られていました。

今でこそ黒の真鯉は「お父さん」というイメージがあるので、最初は子どもだったというのには驚きですよね。

そして時代は進んで明治時代。

この頃になると、黒の下に赤い緋鯉を加えるようになりました。

黒の真鯉の下に赤い緋鯉が加わったことで、「黒はお父さん」「赤は子ども」という認識になっていきます。

さらに時代は流れて昭和になると、今度は青い子鯉が加わるようになりました。

こうして今でいう黒と赤と青のこいのぼりが誕生したと言われています。

そして、次に注目するのは、黒い真鯉の上の部分にある吹き流しです。

江戸時代の頃は吹き流しは別で飾っていたそうなのですが、明治時代になるとこいのぼりと一緒に吹き流しも加えるようになり、一緒に飾るようになりました。

そんな吹き流しですが、よく見てみると五色の色で構成されていることがわかります。

これは中国でいう陰陽五行説が大きく関係しており、「木・火・土・金・水」のことを表しています。

さらにこの吹き流しには二本線が引かれていますが、これは子孫繁栄の願いが込められています。

そして、こいのぼりの先端についている「矢車」ですが、これは子どもが誕生しましたよと神様に知らせるための目印だと言われています。

ちなみに先端にある矢は、子どもに降りかかる災いや厄を払うための魔除けとしてつけられています。

こうして見ると、こいのぼりもまた端午の節句で子どもの成長を願うのにピッタリな飾りであることがわかりますね。

端午の節句の飾りの意味や由来のまとめ

端午の節句ほ時期になると、子どもの健やかな成長を願うために、五月人形やこいのぼりといった飾りを飾ります。

今までなんとなく飾っていたものでも、意味や由来を知ると、なんだか改めて大切な飾りであるということがわかりますね。

今年初めて購入するという方も、値段にとらわれずに、

もし、今後子どもからどんな意味や由来があるのか聞かれた時は、ぜひ教えてあげてください。